ありがとう flash

2020年12月31日はflashの動作する最後の日になります。私がflashを初めて触ったことはflashのバージョンが2の頃 1997年頃でした。当時はAdobeではなくMacromediaがあり Directorなどオーサリングソフト群の一角で、ActionScriptもなく、ソフト内の扱いの難しいツールを使い、絵を描いたり、コマを動かすものでした。このブログでは特に触れていないはずですが 97年当時デジタルハリウッドに通っていてクラスメイトからすごいサイトがあると教えてもらったのが、のちにさまざまなサイトを作り、そこからメディアを超えて活躍する中村勇吾さんの個人サイトだったりします。輪切りが横に並んだものをドラッグすると隣り合ったオブジェクトにその回転が伝わっていくのをみて どう作っているのだろうと みんなで顔を見合わせて記憶があります。

その後flashは3になり 少しずつプログラム的要素を入れることができるようになり、5からActionScriptが書けるようになりました。

そのころの私はアルバイトだったり派遣社員としてHTMLとCSSで制作仕事をしていました。flashで部分的にバナーなどはつくる程度はしていましたが、ずっとflashやActionScriptのことは気になりたまにやってはうまくできないと打ちひしがれたりしていました。これは本当はツールのせいではなく単純にプログラム的な考えやルールが身についていなかったのでした。

その後職場を転々とするのですが flashを多く用いるところには専門のスタッフがいたりで 私自身がflash自体(つまりサイト内で動画やアニメーションを作成する)を制作の中心になることはなく デイリーな更新などを割と地味なことを仕事で続けつつることになります。コンテンツ内の花形としてのflashがあり、私はその他を担当することでほとんどでした。

腰を据えてActionScriptを通してプログラムのことを勉強する日々になるのは会社員からフリーランスになったころ。自由になる時間が増えてときに今から思うと非効率的だけどただ、書籍を買って頭から写経をしていくということを続けました。

その後iPhoneが台頭して、「flashはiPhoneでは映らないから…」が打ち合わせの常套句になってすぐflashは下り坂。swfのウィンドウの中にポリゴンで回転までできるようになったり カメラでARコードを写してオブジェクトを重ねたりはできるようになっていた私は結局大きなコンテンツを作ることはなく Pefumeの3人のダンスキャプチャをデータをflash上で別のオブジェクトで表示する というのを試したあとflashを起動することはありませんでした。

プログラム的考えや作法は平行して勉強していたPHPやWordPress,Python、jQuery,Vue.jsなどに 制作や人に教えることなどに役立ちました。

世の中でflashというと面白い動画コンテンツをつくるためのプラットフォームなところがありますが こんな自分の意思と関係なく綺麗だったり不思議な動きをするものを手軽に作れるのではと思わせてくれたプラットフォームでもありました。

どうもありがとう。